7/11/2025

天神社 志手村と長水村の関係は?

 志手村と長水村の関係は?

志手天神社 灯籠の不思議



 このブログで2025(令和7)年4月24日に公開した「
お大師様とお接待 志手天神社」の最後に予告めいたことを書きました。

 その時の予告めいた文章を以下に引用します。

「(五つの石造物のうち)左端の石造物については紹介しましたが、右端のものには触れていません。説明し始めると少し長くなりそうな事情がありますので、ここでは取り上げず次の機会に紹介しようと考えています」

 上の写真は志手天神社の境内にある石造物です。

 五つの石造物のうち、そこに刻まれた文字が読み取れるのは2基です。

 一つは写真左端のもの。4月24日公開の「お大師さまとお接待 志手天神社」では、写真左端の石造物について少し紹介しました。

 もう一つが右端の石造物です(右の写真)。表面に彫られた文字は読めるのですが、どう解釈すればいいのかちょっと分からないところがあります。

 それで「説明すると少し長くなりそうな事情がありますので」と「お大師さまとお接待 志手天神社」では言葉を濁して先送りにしました。

 よく分からないことの一つが右の写真にあります。

 正面には「奉寄進石燈籠」と彫られています。これは文字通り、石灯籠を寄進するということで、このブログの筆者にも分かります。

 その左側には「六月吉日」「大城吉右衛門」「藤原清房」と彫られています。日付は灯籠を寄進日でしょうか。吉右衛門さんは寄進者でしょう。

 よく分からないのは、そのあとの「藤原清房」です。

 ウィキペディアなどを見ると、平安時代に栄華を極めた藤原一族の一人に「藤原清房」という人物がいました。

 その人のことでしょうか。しかし、それがなぜ、この石灯籠に刻まれているのでしょう。謎です。
 
 さて、「奉寄進石燈籠」の右側にも何か文字が見えます。

 「正徳三年 癸巳 天 長水村施主」。正徳3年は西暦1713年。癸巳は干支で読みは「みずのとみ」。

 そのあとにある「天」がよく分かりません。「天長水村」でしょうか。しかし、志手村の隣り村で、昔このあたりにあったのは「長水村」です。

 この石灯籠は長水村の大城吉右衛門さんが寄進したと解釈できそうです。でも、なぜ長水村の住民が志手の天神社に寄進したのでしょうか。

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志手天神社 所在地は旧長水村内に


 このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は、「志手天神社」ですから、その所在地も「志手」だろうと漠然と思っていました。

 しかし、調べてみると「志手」は「住所」でも「地番」でもなく「通称」であることが分かってきました。

 そのことは、このブログ「大分『志手』散歩」の「ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤『三芳』と『志手』」(2023年2月13日公開)で書いています。

 「ふるさとだより」とは志手老人クラブ共和会が以前に発行していた会報で、志手天神社についても書いてあります。

 あらためて読み直してみると、志手天神社の❝住所❞が書いてありました。

 左の資料です。オレンジ色で囲って傍線を引いた箇所です。

 天神社の所在地は「大分郡西大分町大字駄原字長水」になっています。

 明治26(1893)年の記録で当時の西大分町は大分市に変わりましたが、「大字駄原字長水」は地番として現在も使われています。

 右の写真は、志手天神社の背後の土地の開発許可標を撮影したものです。

 開発地の名称が「大字駄原字長水」となっています。

 ちなみに駄原は「だのはる」と読みます。昔の駄原村です。長水村は何らかの事情があって駄原村に吸収されることになったのでしょう。

 江戸時代の地図を見ても「駄原村」「志手村」はあっても「長水村」は見当たりません(左の資料)。

 二つの資料で志手天神社の所在地が旧長水村の「長水(ちょうすい)」であることを確認できました。

 では、なぜ志手の天神社が隣り村にあって旧志手村内にないのか、素朴な疑問が浮かびます。

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 その前に「住所」と「地番」について少し補足しておきます。このブログ「大分『志手』散歩」の「ふるさとだよりで知る志手のトリビア⑤『三芳』と『志手』」(2023年2月13日公開)でも少し書いています。

 簡単に言えば、住所とは「住居表示に関する法律」に基づいて市町村が決めるもので、地番は主に不動産登記・取引のために一筆の土地ごとに国によって決められているものとなるでしょうか。

 住居表示法に基づく住所がない場合は地番が住所として使われます。「志手」は住所でも地番でもなく「通称」となります。

長水村の神様が引っ越した後に?


 ちょっと横道に逸れましたが、最初の疑問に戻ります。それは、志手天神社の灯籠は何を意味するのか、志手村と長水村の関係は、そんなことが少しでも分からないかと考えたことでした。

 一つの仮説として思い付いたのは、もともと長水村の神社があったのだが、何かの理由で別の場所に移ることになり、そのあとに志手の天神社が入ったのでは、というものです。

 志手天神社の創建年は不詳なのですが、慶長7年(1602年)に志手村民の願いによって志手の神社が再建されたそうです。

 それが左の写真の場所で、地元では「古宮」と呼んでいます。しばらくして、お宮がここから現在地に移ったので古宮というわけです。

 現在の天神社と古宮は小道を隔てた場所にあります。ちなみに古宮(元宮地)の❝住所❞も、先に紹介した志手老人クラブ共和会発行の「ふるさとだより2号」に書いてあります。

 「大分郡西大分町大字駄原字天神平」。天神社があったから「天神平」(てんじんびら)と呼ばれるようになったのでしょうか。

 ちなみに古宮も旧駄原村にあったわけです。志手村の中には神社を建てる場所がなかったということでしょうか。

 もともと志手村内に神社があったが、それが何らかの理由で廃絶されたのかもしれません。

 そして、後年菅原道真公を祭神として神社を再建することになり、志手村に適地がなかったので駄原村にその場所を求めた。そんなことも考えられなくはありません。

 とりあえず「古宮」のある場所にお宮をつくったが、近くにあった長水村の神社が何らかの理由で移転することになり、その場所を志手の天神社として使うことになった。

 だから長水村の人間が寄進した灯籠が志手天神社の境内にあるのだ。一応筋が通っている気がします。

 志手天神社が現在地に移転した年月が灯籠寄進の年月よりも後ならば、この仮説に少し真実味が加わります。果たしてどうでしょう。

志手天神社移転が先、灯籠寄進は後


 結論を先に言えば、残念ながらこの仮説は大外れでした。

 先に紹介した志手老人クラブ共和会の「ふるさとだより2号」に志手天神社の歴史が紹介されています。

 右の資料で、ここに志手天神社が現在地に移転した年が書かれています。

 それによると、丸山(古宮がある場所の通称)から現在の地に社殿を移したのが元禄8年(1695年)です。

 一方、石灯籠が寄進されたのが正徳3年(1713年)でした。

 志手天神社が移転してから18年後となります。志手の天神社として地元住民には定着していたでしょう。

 ということは、志手の天神社と分かったうえで隣村の長水村の住民が石灯籠を寄進したということになります。

 なぜか。その理由を考える前に「ふるさとだより2号」の「志手天神社の歴史」で気になる点がありました。


 この表には正徳3年(1713)年の石灯籠(上の写真の右端)寄進については記載がありません。

 写真左端の石造物については書かれています。●をした「安永4年(1775年) 天照皇大神宮の石塔の碑銘」が、それです。

 写真右端の石造物の碑文を見落としたのでしょうか。それとも特に触れる必要がないと判断して省いたのでしょうか。年表に書いてないのが気になりました。


志手村と長水村でつくった天神社?


 さて、仮に長水村の住民が志手天神社に石灯籠を寄進していたとすれば、どんなことが考えられるでしょう。

 長水村の人々も志手村同様に「おらがお宮」として日常的に参っていたのかもしれません。

 村といっても小さな集落でしょうから、自分たちでお宮を建てることは経済的にできなかったのかもしれません。

 だから近くのお宮として志手天神社が身近な存在だったと考えられます。「志手」はあまり意識されず「天神社」として親しまれたのかもしれません。

 「一村一神社」のようなルールがあれば別ですが、なければ長水村の住民が志手の天神社を参ることは別に御法度というわけでもないでしょう。

 さらに一歩進んで、長水村の人々が志手天神社に参拝したのは「長水村民と志手村民が一緒になって天神社をつくったから」。そんな仮説も考えられます。とすれば長水村民にとっても「おらがお宮」となります。

 すると、志手村と長水村の関係はすこぶる良かったのではないかとの推測もできそうです。

 志手と長水で協力して天神社をつくったという仮説、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は面白いと思うのですが、この仮説を証明する材料は今のところ何もありません。

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